『facebook』 学生目線?

 大学生のザッカ―バーグがFacebookをたちあげるときのことが書かれています。ザッカ―バーグが実際にシステムを作りあげる役、友人のエドゥアルド・サベリンが資金面の支援などをすることになり、共同で会社を設立します。Facebookがどんどん成長し、ザッカ―バーグや技術系の仕事をする学生仲間がカリフォルニアへ移り、エドゥアルドとの距離がひろがっていきます。エドゥアルドからすると、ザッカ―バーグが何を考えているのかまったくつかめなくなり、やがて、本人からすると突然の切り捨てという事実を突きつけられることになります。

 本書は、ザッカ―バーグへの取材なしで書かれたこともあり、大半がエドゥアルドから見たザッカ―バーグが描かれているのですが、エドゥアルドはザッカ―バーグが何を考えているのか、どんな仕事をしているのか、まったくつかめていないのです。優秀な人物だし、協力を求められたから、一緒に会社をつくったけれど、突然、裏切られたという思いしかないようです。読者にとっても、ザッカ―バーグがぜんぜん見えてきません。ザッカ―バーグの仕事の詳細も、Facebookが、どうして他のSNSをおさえて急成長できたのかも、わかりませんでした。読者としては、そういうところも知りたかったのですが。

 本書でよくわかるのは、ハーバードの学生生活でしょうか。大学の秘密結社的なクラブへの入会のこと、会員のことも出てきます。大学生にとっては、男女の交流も重大な課題なので、そうした話題もあり、映画に向いていると思います。

 秘密結社クラブへの入会テストを見事にパスしたエドゥアルドは、夏休みには大学卒業後の就職に有利なインターンジョブを得ようとしたりしています(その仕事はすぐにやめてしまいましたが)。一方で、ザッカ―バーグはクラブへの入会もあきらめ、さっさと学業を中断し、Facebookに打ち込みます(その詳細が本書では掘り下げられていません。ザッカ―バーグへの取材ができなくても、ほかにも近くにいた人には取材できなかったのでしょうか)。肩書きや人脈に頼って安定した道を進もうとするエドゥアルド、自分の腕で成功しようとするザッカ―バーグ。そんな二人が同じペースで歩んでいくのは難しかったのでしょう。本書の主題となっているのは、ザッカ―バーグに置いていかれた、裏切られたというエドゥアルドの思いですが、それは、学生気分の抜けきらない甘いものだという感想は、残酷でしょうか。逆に、ザッカ―バーグが学生離れしたすごい能力(何の能力かはわかりませんでしたが)を持っていたのかもしれません。