『世紀の空売り』マイケル・ルイス著 東江一紀訳


 この本では、サブプライムローンから派生する債権やCDSといった商品のカラクリが、みごとに描き出されています。2008年の金融危機の本を読むのは、『ザ・クオンツ』『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』に続いて3冊目になるので、専門用語に慣れてきたという個人的な事情もありますが、それを勘案しても実にわかりやすく説明されていました。もちろん専門的にはきちんとわかっていないのですが、誰をカモにしていかに儲けるかという構図がはっきり飲み込めました。

 サブプライム関連の債権の価値がこのまま上がり続けるはずはない、いつか下がるということを確信した3組の人たちが登場します。この人物たちは独立に、それぞれの調査と判断でそういう結論を出していくのですが、その人たちの個性もよく描かれていておもしろく読めます。

 どうやってショート(値下がりを期待する)ポジションをとるのか、下落する時期がわからない、といった問題を解決しながらも、本当に自分の予測が当たっているのか、何か見落としている情報はないのかと調べていくのですが、知れば知るほど、商品の中身を分かっている関係者がいないこと、格付け会社も無能なことなどがわかってきます。そして、これらの金融商品が持つ詐欺性が明らかにされていきます。好景気に沸く市場が冷静さを失っているのは確かなのですが、常識を持っている当人たちが、おかしいのは自分の方ではないかと疑うほど、ウォール街の熱狂ぶり盲目ぶりはすざましかったようです。

 サブプライム関連の商品は、もともとは、返済能力のない人にティーザー(釣り)金利でローンを組ませて、そのローンを細かく分割したものを再び寄せ集めて債権などに仕立て上げていくものです(この説明では不十分だと思いますが…)。細かく切り刻んだローンをたくさん寄せ集めればリスクは薄まるというわけです。債権化によってリスクを見えにくくして、いいかげんな格付けをして、実情よりも安全に見せかけます。こうした商品を扱って手数料などをがっぽり手にする銀行にとってはまさに錬金術です。でも、誰もリスクのことを考えていませんでした。いずれ(例えば2年後)、ティーザー金利の期限がきて金利が上がり、ローン返済は滞るというのが、常識的に考えられるシナリオです。でも、担保となる住宅価格が上がり続ければ、債権には傷がつかないという設計でした。しかし実際は、住宅価格の下落どころか、上昇の割合が減るだけでサブプライム関連商品は焦げ付いてしまう恐ろしい状態だったのです。本書の登場人物がショートポジションをとるために利用したCDSは、ローンが焦げ付いたときの補償をするものですが、それを格安の保険料で大量に売り出していたAIUの行動は(本書の説明を読んでいる立場からすると)まったく理解不能です。

 詐欺まがいの手法を見抜いていく過程は読んでいて痛快ともいえるものでした。ショート・ポジションを信じる登場人物たちは、見せかけにだまされずに丹念な分析でこつこつと市場は下落するという確信を深めていきます。でも本書は、勧善懲悪の物語ではなく、結末は金融危機です。これはいったい何だったのだろうというという印象が残ります。この件については銀行のCEOも保険会社も格付け会社も無能だったことはわかりました。でも、誰かを罰したり、責任をとらせるというよな問題ではないので、わかりやすいすっきりした結末にはならなかったというのが、一般人としての気持ちになります。

 つい先日、投資銀行のCEOたちへの高額報酬が復活したと報じられていました。ジェイミー・ダイモンとかブランクファインとか、サブプライム関連でよく名前の出てくる人たちです。この人たちは、つぶれた銀行などと比較するならリスク回避をできていたほうなのかもしれませんが……。サブプライム関連の失敗だけで、金融機関の人たちがすべての面で無能だと判断することはできませんし、金融機関には大切な役割があるわけですが、その報酬の金額って適正なんだろうかと思ってしまいます。

 わたしが00年代の前半にアメリカに住んでいたとき、よく送られてきたDMがサブプライムローンのものでした。「おめでとうございます。あなたはマイホームのオーナーです。金利○%(数字は忘れましたが、低金利)」「金利0.0%で車があなたのものに」といったものが、大量に送りつけられてきて、こんな怪しげなもの、誰が申し込むのだろうと思っていました。DMをせっせと送ってきていたのは、うちで口座を開いていた銀行だったと思います(その関連会社か)。今思うと、我が家はアメリカで(クレジットカードもキャッシングやリボ払いのようなものは利用せず)一銭も借金をしたことがなかったので、すばらしい信用を持っていたせいもあるのかもしれません。本書では、苺摘みなどをして働いている移民労働者もサブプライムローンの借り手だったと書かれていました。過去に、借金返済が滞ったという悪い記録がなければ、所得証明なしで簡単にローンを組むことができたのです。移民は誰でもすばらい信用を持っているということです。債権を組んで、さらにそれから派生する債権を組んでおカネを生み出すために、たくさんのローンが必要だったのです。あのDMがそうだったのかと納得できました。

 最後に、東江一紀さんの翻訳は、すごくかっこよかったです。翻訳ではなく、日本人の作家が書いたような表現がたくさんあって、どんな原文をこんなかっこいい訳文にしているのだろうと思うもの頻出でした。ノンフィクションでも素晴らしい翻訳はたくさんありますが、本書の訳文のかっこよさは格別でした。不勉強で、東江一紀さん訳のノンフィクションは『レクサスとオリーブの木』をかなり昔にちょろちょろ読んだくらいです。フィクションでは『犬の力』だけかな……。こんな訳文が作られるのなら、『世紀の空売り』は原書で読んでもかなりおもしろいのかもしれません。時間がなくて、かっこいい訳文をメモしていませんでしたが、いつか再読して、できたら原文とつきあわせてみたいものです。